【小松城】

天正4年(1576年)に加賀一向一揆方の若林長門守によって築かれたといわれ、織田信長の武将柴田勝家により
攻められ、村上氏、丹羽氏が城主となった。江戸時代になると加賀藩領となるが、元和元年(1615年)に一国
一城令で廃城となる。
寛永16年(1639年)、2代藩主前田利常の隠居城という名目で再築、しかし大規模な水堀を廻らし、築島を配する
という新城建設に似た大規模なものとなった。完成した城域は金沢城の約二倍の規模を誇る。
利常の死後は加賀藩金沢城の支城となり、城番により統治され、明治維新を迎えた。
本丸には天守台が築かれ、天守の代用として御三階櫓が築かれた。広大な水堀に浮かぶ姿から浮き城の別名を持つ、
難攻不落の実戦を想定した要塞であった。