【長篠城】

長篠城は、三河国設楽郡長篠(愛知県新城市長篠)にあった城。現在は国の史跡に指定され、城跡として整備
されている。1575年5月の長篠の戦いに先立つ長篠城をめぐる激しい攻防戦で知られる。

●1508年
今川氏親に誼を通じた菅沼元成が築城。菅沼元成と、その子孫・長篠菅沼氏が居城とする。

●1571年 
徳川家康に服属していたが、武田信玄による三河侵攻の一端で、天野景貫に攻められる。攻守双方の払った
犠牲は大きかったが、陥落だけは免れた。その後、菅沼総領家・田峯菅沼氏から遣わされた使者の説得を受け、
城主であった菅沼元成の直系・菅沼正貞は、心ならずも武田信玄の圧力に屈した。

●1573年
前年末から続いていた武田信玄の西上作戦が春には切り上げられ、武田軍は本国へ撤退。その間隙を徳川家康に
よって攻められる。城主・菅沼正貞は8月には開城退去、城に返り咲くことはなかった。
以後、家康によって武田信玄の侵攻に備えて、城が拡張される。現在残る本丸の大規模な土塁などはこのときの
ものと考えられている。

●1575年
5月、武田勝頼は1万5千の兵を率いて奥平信昌が約500の手勢で守る長篠城を攻め囲み、長篠の戦いが始まる。

●1576年
前年の長篠城の攻防戦で城が大きく損壊したこともあり、奥平信昌は新城城を築城、長篠城は廃城となる。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城に選定された。